2012年 スペイン・ポルトガルの旅

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     “美食クラブ=Sociedad Gastronomica”この言葉が今年の旅のキーワードとなった。スペインの北東部、フランス国境に近いバスク地方の中心都市サン・セバスチャン=San Sebastian,本当はこの名前の前にバスク語のDonostiaの文字がつく、独立の気運がどこかに漂っている不思議な響きが感じられる。

     マドリッドからローマ時代の水道橋で有名なゼゴビアに立ち寄りながら車は北東へ、そして“騒動”は今年も起こった。

     昨年から《カーナビ》にお世話になるようになったのだが、所変われば品変わるとでも言おうか海外のそれは日本とはかなり違っている。カーナビ操作の端末がハンドルの裏についていて面食らった初回に続いて、なんと今回は持ち運び自由でどこにでも置けるお弁当を大きくしたようなコンパクトタイプだった。

    マドリッドの中心地王宮近くの広場にてパン屋さんのディスプレイ。
    ちなみにスペインでもパンは《Pan》と発音します。



     まず、ドーナツ型のずっしりした黒いお弁当のようなものを車のダッシュボードの上におきます。その真ん中に名刺の2倍ほどのサイズのディスプレイを立てシガーライターソケットから電源を取ればスタートポジションです。

     画面に《TOM TOM》の文字が現れカーナビの起動となる、最初だけはレンタカー事務所の係員の操作で何とかスタートしたがここから2日、激しい戦いの時間が続く事となった。

     もともと日本でもカーナビを持たず、これまでのヨーロッパの旅でも10年ほどお世話にもならなかったせいで、ナビの言う事をなかなか聞かずに自己判断で道を決めてしまうので機械が気分を害したらしい、《TOM TOM》の表示を出したままでてこでも動かなくなってしまった。

     縦にしたり横にしたり、たたいたり【ほんの少しです】、 ありとあらゆるゆさぶりをかけましたが、少し仲直りの兆しが見えるのに24時間以上かかってしまいました。今思うと、電源を入れる際何かの接触不良で画面が十分立ち上がらなかったようです。

    ゼゴビア、ローマ水道橋の下で。
    銅像は狼に育てられたというローマ建国の伝説の双子ロムレスとレムス。



     ゼゴビアの町を後にし、いまだにご機嫌斜めの《TOM TOM》をなだめながら車は一路バスク地方へ、苦肉の策でとった手段といえば原始的かつ最先端のやり方、あのアイパッドの画面を操作するように《MAP》を開いて指先で拡張しここぞと思える場所をポイントしながら目的地サン・セバスチィヤンへの到着となりました。

     カーナビの取扱説明書が付いている訳でもないのではっきりとはいえませんが、この機種では日本であるような【電話番号入力】はなく、かわりにポスタルコードとなっており外国人のわたしたちには非常に使い勝手が悪いものです。その上、【住所】の欄に正確に打ち込んでもキャンセルされ、挙句の果ては車も人もごったがえす【シティーセンター】を選ばざるを得なくなってしまうのです。そこで、今まで培ってきた第六感が光ることとなります、外国製のカーナビを使って旅を計画されていらっしゃる方はくれぐれも行き届いた日本製のカーナビを想定されるのではなく、かなりの曲者がてぐすね引いて待っていることをお忘れなく。

    人でいっぱいのサン・セバスチャンの旧市街

    有名な《ピンチョスバー》の一こま

    海に面し高級リゾートとしても有名




     《食はバスクにあり》といわれているほど豊かな魚介類を使った料理がわたしたちを迎えてくれる。旧市街にはたくさんのレストランやBAR【バル】が肩を並べ人々の会話は真夜中を過ぎても途切れることはない。
     
     今回、旅の最大の目的である《美食クラブ》へのアプローチはまったく進んでいなかった、ホテルのフロントの若い女性に尋ねても要を得ず、町のレストランのオーナーに訪ねても【自分の店のほうがうまいんだ】と取り合ってくれない、閉鎖的なクラブだとは知っていたがここまで情報量が不足していてはまったくのお手上げだった。

     翌日、町は何かのお祭りみたいであちこちで小さなイベントのようなものが催され、宮崎で言うあの【弥五郎どん】みたいなやまも繰り出し町全体がハイテンションだった。

    場所は変わってもいずこもやることは同じ

    強風の中子どもたちが集まって何かに挑戦




    《美食クラブ》ついに発見!

     お祭りに浮かれるたくさんの人々から離れて旧市街を進むと、周りの喧騒からは信じられないぐらいの【真空地帯】のような静かな通りに出くわした。

     偶然だろうがわたしたち以外は誰もいない、何かに引き寄せられるように歩くこと数分、ドアがちょっと開いている建物にさしかかった。隙間から覗くと5〜6名の年配の男たちが何かおつまみを食べながらテーブルを囲んでいる、もしやというより《まさか》の感覚が頭を掠めた、昨日まであんなに一生懸命あちこちに手を尽くしても到達できなかった目標がこうして目の前に現れたのだ。

     これこそ奇跡と呼ばずにはいられないほど興奮して、偶然その部屋の壁に立っていた女性に尋ねるとここがその《美食クラブ》に間違いないという。

     早速写真撮影の許可を取り、この旅一番の目標を達成した。

    人影が見当たらない《真空地帯》の通り、突き当りの1階が観光客のための見学用《美食クラブ》

    由緒正しい?かの美食クラブの面々



     若手の男性が調理の担当らしい、今日の料理は《パエリア》かな、美味しそうな魚介類が一杯。実は女人禁制のこの場にいた先ほどの女性は彼の奥さん。突然の訪問であまり長居しないように気遣いしながら丁重にお礼を言い、日本からをお土産の簡単な扇子を渡すとたいそう喜んでくれて、このさびしい通りの突き当りが観光客用の《美食クラブ》のなっていることを教えてくれた。


    《美食クラブ》とは?

     ここにポルトガルの友人是月さんが調べてくれた説明があります。

     歴史上最初の記録は1870年、サン・セバスチャンから各地に広まった。定期的に会って、飲み食い、歌い、おしゃべりする友達どうしの情報交換会の発展したもの。フランコ政権の時代にはバスク人が合法的に国家のコントロールなしに、会合し、バスク語を話し、バスクの歌を唄うことができた数少ない場所のひとつであったという。それはこの集まりが定める憲法が政治的な議論を硬く禁じていたからである

     別名Txoko【チョーコ】とも呼ばれるこの集まりは次のように定義づけられている。『スペイン・バスク地方の閉鎖的な美食クラブで、伝統的には男だけで開かれたクラブ。会員制で会員は時々集まっては料理を作り、新しい料理法をためしたり、試食したり、意見交換をする。バスクではごく普通の習慣で、たとえばゲルニカ市では1万5000人の人口の市内に9つのチョーコがあり700人の会員がいる。

     TxokoとはXokoのことで、バスク語では【目立たない居心地のよいコーナー】を意味していて、スペイン語ではSociedades Gastronomicas=食道楽の会、美食クラブと呼ばれる』

     各チョーコはそれぞれの憲法を持っている。そこでは会員の定員や運営方法などが決められている。奇妙なことにたいていのチョーコは、憲法の中で政治的討論を厳しく禁じている。また女性の出入りを許さないチョーコもあるが、今日多くのチョーコは女性が試食することは認めている。しかし、女性が調理することは許していない。

     チョーコはバスク料理に重要なインパクトを与えてきた。これがある故に多くの伝統料理が救われ、よみがえることができた。また、新しい料理の開発にも寄与し、美味しくて安い素材に関する情報の交換場所でもあった。このことがバスク料理を洗練されたものにし、しかも購入しやすいものにしてきた。

     最後に、この集まりが男性クラブである本当の理由は、恐ろしい山の神から逃げるためだったというわかり易い説明もあるということです。

    特徴的なバスク地方の民族衣装 サン・テルモ博物館 

     ナビと格闘しながらこの町に到着したのだが、もうひとつ付け加えるとするならば《グーグルアース》の効果も大きかったと思います。ストリートヴューで町並みの風景を覚えていたこともあって、市内をぐるぐる回るうちに脳裏に覚えた画像でホテルを見つけたのですから。




    絵に書いたように美しい漁師町 エランチョべ
                      Elantxobe

     旅行前に日本のスペイン観光局から送っていただいたバスク地方のガイドブックにあった変な名前の町【失礼】エランチョべへ、美食のバスク地方で漁師町ときたら魚介類の料理に期待が高まる。



     頂いたガイドブックにあるように【絵に描いたように美しい】とまではいかないがひっそりとしたたたずまいの中に、何か安らぎと懐かしさを覚える小さな港町だ。

     船着場の中央に一軒の小さなBARとアイスクリームやみやげ物を売る小屋があるのみ、車も数えるほどしかなく観光客も訪れる気配も無い、ちょっと心配になって売り子のおばさんに宿を尋ねる。にこやかな表情で【あるよ、一軒だけ・・】と港の背面100メートルほどの急な崖の上を指差した。


     回り道をしながら崖の上の小さな集落へ、車は結構停めてはあるのだがまったく人の気配がかんじられない。こじんまりした宿にチェックインしていると、見慣れない東洋人が珍しいのか宿の子ども達がわたしたちの様子を伺いながら離れない。日本からのお土産【剣玉】に最初は戸惑っていたが、あとからはホテルの裏庭に近所の子どもたちを集め自慢げに披露していたのがほんとに子どもらしくてほほえましかった。

     さて、港町といえば海鮮料理。宿から歩いて1分、港を眼下に一望するレストランへ、周りを見渡すと先ほど見かけたスタッフがちらほら、なんと宿の主人のお父さんが経営するお店だった。【孫】たちも元気に店内を走り回っている。

     この日のメニュー、まずセットされたテーブルクロスの上にフランスパンの切れ端が並ぶ、ワインを口にしパンをかじりながら料理の出るのを待つ。この季節に欠かせない【白アスパラ】の野菜サラダがスタート、量が多いので3人で分ける、続いて二人分の魚介類のスープのつもりだったが、これも《洗面器》ほどの入れ物で出てきたのでみんなで食べても残ってしまった。




     次は白身魚のフライ、それに誰が頼んだかステーキ、最後は新鮮なイカのバター焼きが並び3人の胃袋は満タンになった。大人3人が腹いっぱいになりビールやワインを平らげても会計は7千円足らずで済んでしまうから海外旅行はやめられない。今回の日本からスペインのマドリッドまでの往復運賃は6万5千円ほど、もちろん燃油税【サーチャージ】4万、その他空港税などを含めても12万位しかかからない。
     
     近年,貧乏人は海外へお金持ちは国内へが合言葉になっている



     静かな漁村ではあるがよそ者の興味を引くことが見つかった。厳しい自然に備えてということだろうが堤防の高さが異常に高い、大雑把に見ても日本の倍の高さがあだろう。そして、その高い堤防に囲まれた港の奥に、海の一部を簡単に仕切り子どもたちの遊び場が造ってある、さしずめ《港の海水浴場》というところ。






    悲劇の町 《○○○○》 


     さてこの写真の奥の壁に描かれたモニュメントを見てこの町の名前が浮かぶ方がいらっしゃるだろうか?

     1937年、スペイン内戦に介入し、フランコ将軍に味方するドイツ軍はこの町に無差別の爆撃実施した。この行為に激怒した画家のピカソは一気にこの大作【ゲルニカ】を完成させ、戦禍にあった一般の人々や家畜などの怒りを世界に訴えた。町の名前はGernika

     私たち旅人は当然の事ながら、気候の良い条件のそろった時期に旅行をする。このヨーロッパも11月くらいからおよそ5ヶ月ほどは暗く厳しい季節が続く、歴史的に国境が何度と無く代わり戦争の爪あとが残る町も少なくない。この町ゲルニカもそうした町のひとつ。折から小雨に見舞われ、鉛色に包まれた空が歴史の重さを物語っているように感じられた。

      威風堂々の朝











      町のパン屋さん











      ゲルニカ資料











      有名な《ゲルニカの木》















    銀の道 サラマンカ

     車は緑の多い北部バスクの地を後に赤茶けた台地が続く道を南西へ、港町ヒホンからセビーリャまでスペイン半島を南北に貫く《銀の道》と呼ばれる街道の中継地サラマンカに向かう。

     この道の名前の由来は、古代ローマの時代北部の山脈で産出された金、銀、道などをローマへの資材積出港として整備されていた南部のセビーリャまで運ぶ為の道で、古代ローマ人たちの高い土木技術がうかがえる。


     これはサラマンカで宿泊したホテルの中庭【パティオ】、壊れていた古い教会を最低限の修理で済ませほとんど【壊れたまま】の状態でこのような使い方をする。もちろん、4つ星のホテルなので室内の雰囲気はは申し分なく落ち着いていて、このいかにも古いものと新しいものを対比させてお互いを引き立たせているところが日本にはあまりない感覚で心憎い。当然石造りの建物がほとんどなのでそれ自体は【無味乾燥】だが、草花の植え込みやライトアップなどの手法でその味を引き立てているのだ。

     5年ほど前のグラナダのフラメンコ劇場では、舞台が始まるとバックのカーテンが開き、暗闇にライトアップされたアルハンブラ宮殿が突然現れてくるといった演出があり感動した経験がある。


     右側は15世紀後半に建てられたゴシック建築の建物《貝の家》外壁が聖ヤコブの象徴である【帆立貝】の模様で飾られていてサンディエゴ・デ・コンポステーラへの巡礼者を守る騎士団のある騎士の個人宅とのこと、大学の町でもあるこの一帯はさまざまな歴史的な建物が点在し、そんなに広くないエリアに見所のある建造物が凝縮されている。グラナダの友人のエミリオが右手の親指を突てきたてながら【サラマンカがすばらしい】といっていたのを思い出した。

     

     大学生とたくさんの観光客のために通りにはさまざまなタイプのみやげ物店やレストランが並び夜遅くまで大賑わい。店の2階が宿泊施設になっているところが多く、非常にリーズナブルな値段で利用できる。右側は街でよく見かける《本日のお勧め》の看板、【イベリコハムとワイン1本で20ユーロ=2,000円ちょっと】、【グラスワインとおつまみ】250円くらい

     

     旅の間は食事は一日2回、ホテルでゆっくり朝食をとりお昼はお茶程度で済ませ夕食をゆっくり頂く。疲れを取るために野菜を努めてたくさん取るようにしている。大きな観光地は特にそうだが、注文をするときには必ずメモに残しておくことが大事な習慣になっている。

     ラテン系の人々なかには
    “自分より豊かな人たち=旅行者等から多少余計に頂いても神様は許してくださる”と勝手に思い込んでいる【けしからん輩】がたまにいてトラブルに会うことがあるのでこのチェック体制は最重要



     上の写真はアイルランドからやってきた歯科医夫妻、たまたま野外のテーブルで隣り合わせとなりつたない英語で1時間ほど会話する。11時前に“おやすみなさい”と挨拶して分かれたが、翌朝のホテルの朝食会場で偶然鉢合わせ再会を喜んだ。

     下はちょっと問題あり、どことなく男性たちの【鼻の下】が長くなっているのがお分かりだろうか?時間はもう真夜中、ビルの3階のテラスカフェで女学生と思われる若い女性からちょっとしたお土産のお礼に、両ほほに接吻をされた結果鼻の下の“たるみ”現象がおきてしまったのでした。




    モンサント ポルトガルで最もポルトガルらしい村

     いよいよ今日からお隣の国ポルトガルへ、宿泊はコインブラに予定しているが国境よりの山岳地帯にポルトガルの3つの美しい村のひとつMosanto=モンサントに立ち寄ることにした。
     
     ここで今までしぶしぶ言うことを聞いてきたカーナビの
    《TOM TOM》君がついに反撃に出てきた。今までの経験から判断しておよそ2時間30分ほどの距離のはずが表示では6時間を示しているではないか、その上、矢印は進行方向の真逆を指しある一定の時間おきに“可能ならばユーターンしてください”と叫び続けるではないか、原因がはっきりしないまま耳に栓をしたまま村に着いた。


     4年前この町を訪れたときはちょうどノッソ・セニョール・ド・カステロ祭が盛大に執り行われていた。狭い山道にぎっしりと車が止まり、山頂部のやっと20台ほどが停められる駐車スペースに無理やり停めてはみたものの交通整理の警官に追っ払われてドライバーの私は車中留守番だった苦い思い出の村だ。

     昔、この村は地形上戦略的に重要な場所でイスラム教徒との戦いで兵糧攻めにあっていた。村に食料がなくなる直前、ある男が村に残っていた食料をかき集めて牛に食べさせ、それを敵陣めがけて投げ落とした。この牛の満タンの胃袋を見た敵はこの戦いに勝ち目がないと思い撤退したそうだ。

     オリーブやコルク樫の茂る平原に突然現れるごつごつとした岩山、山頂付近の家々は大きな岩を壁の代わりに利用しながら一種独特の自然の石の芸術を作り出している。


     




    コインブラの奥座敷 ブルニョス

     今日の夕方はコインブラの近郊で農園民宿を営む日本人の是月次郎さんの宿にお世話になることになっている、地図から判断しておよそ5時間弱の行程のはずだがかの《TOM TOM》君はいまだに元気に反旗をひるがえし【もどれ】と叫んでいる。それを完全に無視して1時間ほどたってふと気が付いた、まてよ、日本では絶対にないのだが確か《国名》という欄があったよな・・・・最近、ヨーロッパの国境はユーロの世界になってから日本国内で隣の県に行くような感覚しかなくなっているので気づくのが遅れたのだ。

     早速【ポルトガル】と最初に打ち込んでやると、あれほど反抗的だった《TOM TOM》君はうそのように友好的になった。旅半ば5日目にしてやっと【戦い】は終結した




     “Eco Farm”Quinta De Sao Mateus
           エコファーム キンタ デ サオ マテウス


     以前2009年にお世話になって以来3年ぶりの再会となった、前回はカーナビなしの訪問だったので旅の語り草のひとつになるくらいの苦労話の思い出の地である。ポルトガル第3の都市コインブラから南西に車で30分あまり、小さな村の郊外人家のない雑木林のなかにこの農園はあります。

     50代のころ主人の是月次郎さんは造園技師として日本で大変忙しい日々を送っていたが、あるときふとその生活に疑問が浮かび、“理想の地”を求めて国内はもちろん世界各地を回りながらやっとこのポルトガルを“永住の地”と定めた。

     52歳の時、ベルギー人の奥さんと娘さんとの3人で25ヘクタールほどの古い農園を手に入れ移り住んだ。最初は水が出なかったり、雨漏りがしたりでそれはそれは大変な生活だったようだが、十数年余りを経た今、それは確実に進化を遂げ“理想の地”への形が着々と築かれているようだ。

     進化は建物や農園だけにとどまらず、彼の娘さん《フランスの大学に在学中》が家族のこれらの歴史をドキメンタリータッチで描いた映画【山のあなた】を製作し、ポルトガルはもちろんブラジルなどの国でたくさんの賞を受けるまでになってきているのだ。

     

     食事は農園で取れた新鮮な野菜が中心、おいしい《秘蔵》のワインを頂きながら旅の疲れを忘れる。

     娘さんの描いた絵を飾った部屋、そのほかの家具の色合いもよくコーディネイトされている。

     

     数年前に比べたら“格段の進化”を遂げた部屋で娘さんの製作した映画の鑑賞中。

     広い広い農園の一部。


     今彼は日本の米の普及にも力を入れている。まだまだ試行錯誤の段階ではあるが、近い将来必ずおいしいお米がヨーロッパの人々に届くことになろう。そして、できるならば日本の若い農業者に一緒に知恵を出し合いながら、この地でともに“理想の地”の建設に力を貸してもらいたいと真剣に考えている

      
    是月 次郎 著書『わいん、玉ねぎ、ぽるとがる』




    焼き魚《いわし》の匂いのする漁師町  ナザレ 

     ポルトガル観光といえば、まずリスボンとこの町の名があがる。その訳のひとつとして日本人にはおなじみの《いわしの塩焼き》、今では押しも押されぬヨーロッパのリゾート地だが、一昔までは静かな漁師町だった。夕暮れになると狭い路地でいわしを焼く煙が立ち込める、そんな風景が日本人に何か郷愁みたいなものを覚えさせるのかもしれません。


     宮崎市の青島をちょっとグレードアップしたような浜辺のリゾート、この時期【6月】まだ肌寒かったので海水浴客は少ない 

     

     この日のナザレの宿リバマール、砂浜から道路一本をはさんですぐ海側なので、小さなバルコニー越しに海辺が一望できる。

     宿泊代を聞いて耳を疑う方も多いだろう、一室一泊朝食付き38ユーロ、二人で泊まるので1ユーロ=100円と換算して一人なんと1,900。エレベーターが無く3階まで荷物を抱え上げる手間を差し引いてもなんとも安い、しかも一階は有名なシーフードレストランときている、多少酔っ払っても階段を這ってゆけば良いのでドライバーの私にとっては最高の宿。

     車といえば右側の写真を見ていただきたい、ご存知の方も多いだろうがヨーロッパでは、日本のようにレストランやホテルなどがその専用の駐車場を持たない場合が多い。たいていの場合路上駐車か近くの共同の駐車場の利用が一般的だ。そして、200メートルほど離れたところにあるこのいかめしい感じの入り口がこの宿の駐車場、まず入り口のゲートを開けてなかに入ると車一台毎の個室になった扉を開け駐車後扉の鍵をかけて終了となる。

     人間一人1,900円、車一台1,000円ちょっと複雑な気分

     窓から砂浜と海が見える一階のレストラン、もちろんシーフード料理がメインでいわしの塩焼きも忘れずに注文した。“安くて美味しくて量の多い”ポルトガル料理に舌鼓を打ちながらそのリサーチも忘れない、毎年旅に出る度に世界各地のレストランの調理場を覗かせていただくのを慣例にしているのだ。もちろん、仕事の邪魔にならないということが一番ということは言うまでもないが。調理場の中に入ると中年の女性5〜6名が表の満員のお客さんたちのオーダーに大わらわだった、男性は一人も見当たらずまさしく《マンマの味》。


     
     

     この女性が身に着けている衣装がナザレの伝統的な衣装、男性のそれはなかなか目に付かない。7枚重ねのスカートとちょっとお世辞にもスマートとは言いがたいが、この姿で人気の少ない海岸で海を見ながら立っているのを見ると《今、ポルトガルにいるのだ》という思いがこみ上げてくる。ちなみにこの女性の身につけている黒い衣装は【未亡人】の証。

     近代化の波で日本でもそうだが伝統の服装というものは、祭りとかある特定の行事のときだけになってきているようだ。





    “谷間の真珠” オビドス

     城壁の囲まれた人口800人ほどの小さな町。海からの敵の侵入を防ぐために築かれたローマ時代から、幾多の戦いを経て1148年にアルフォンソ・エンリケスによって現在の町の形が作られた。その後この町に魅了された女王イザベルが統治し、1834年まで代々女王の直轄地となり現在も中世のままの姿をとどめている。

     ポルトガルには古城や修道院を改装した《ポサーダ》と呼ばれるホテルがある。この町の小高い岡の頂上にも客室数9部屋というこじんまりしたポサーダがある。一泊一部屋【二人で】朝食付きで2万円から3万円くらいでそんなに高額ということも無いが【エコツアー】の私たちが泊まることはほとんどない。しかし、そのすばらしい景色や歴史的な調度品に出会えることからたびたび【お茶】しに訪れる事があります。

    ポサーダ・ド・カステロ

     
     




    スペインの古都 トレド

     ゆったりしたポルトガルの田園地帯に別れを告げながら車は再びスペインへ、トレドに向かって真東に普通道路を行く。結構山道もありスピードが出せないが沿線の風景は格別。

     国境に近づいたころ左の広陵とした平原の中になにやら動く動物群を発見、一同早速車を停めて検証に向かう。平原の中にぽつんぽつんと植わる樫の木と小さなかまぼこ型の日よけの周りで動物たちが・・・・これが有名な《イベリコ豚》の放牧地だった。


     イベリコ豚といわれても所詮豚、外見からはほとんど見分けるのは困難だが・・・そうなれば食べて味見するのが一番。しばらく走ると平原の中にあの西部劇映画に出てくるようなレストランに到着、すぐさまメニューの中に《イベリコ》の文字を発見、一皿1000円ほどで3人で食べても満足できるほどの量のハムを味わった。これぞドライブ旅行の醍醐味だ。

     有名な観光地トレドまで20キロくらいに近づいた。これも車旅行の強みだが、物価の高い観光地を避けて名も知らぬ近郊の小さな町で今夜の宿を探す。案の定半分ほどの値段で宿は見つかった。

     今宵隣町のトレドでは何かのお祭りが盛大に執り行われているらしい、この町もその余波か人々の動きがなんとなくハイテンションに思えた。宿の女主人にレストランの場所を尋ねると、そこらに結構あるよとつれない返事。実際歩いてみると臨時休業になっていたりなかなかレストランに行き着かない、しかし、自由旅行ではこれくらいのことは当たり前、街角で地元の人たちがたむろしているBARへともぐりこんだ。英語のまったく通じないカウンターで想像力をフルに活用しながら夕食をオーダー、思ったものが出てきて一安心した。


     

     実際、言葉の通じないところで料理を注文するのは多少勇気がいる。ほかにもいろいろは方法があるが、地元の人が食べている料理を指差して《その料理はこのメニューではどれか?》と尋ねるのが一番確率が高いのでお勧めです。


     マドリッドの南約70キロ、カスティーリャ・ラ・マンチャ地方の中心に位置するこの町は、日本で言えばさしづめ“奈良・京都”、1500年以上の古い歴史があり、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の3つの文化が混在している。

     町が一望できるスペインの国営ホテル・パラドールでひと時の休息、大パノラマを楽しむ。



     




    終わりに

     例年のことながら、今年もたくさんの人々に支えられて無事この気ままな旅を終えることができました。今回特にお世話になったのが地元の警察官【ポリスマン】だった。スペイン北部の小さな村の郊外でキャンプを楽しんでいる人々にホテルをたずねていると、偶然通りがかったパトカーの警官が“先導”を申し出てくれて、村の入り組んだ一方通行の狭い道を小高い岡の上のホテルまで案内してくれました。残念ながら当日そのホテルは“クローズ”になっていてその町には泊まれなかったが《旅の大変さと地元の人々の暖かさ》が身にしみました。

     後日ポルトガルの
    ボルダロというキャベツの食器の焼き物で有名な町での出来事、折から降り出した雨で視界は悪く、入り組んで車で一杯の道路と最悪のコンディション。地元の人に聞いても要を得ないので付近の駐車中のジープに乗った警察官を発見、しばらく説明をした後彼がこう言った。《アーユーオッケー》、つかさず連れ合いが答えた《アイム ノット オッケー》困った警察官はもう一人の同僚と相談してこう言った《フォロー アス》悪天候で混雑した道をその作業所の近くまで案内してくれたのでした。

     私たちみたいな【エコ ツアー】を目指す方々に提案です。当初、飛行機にしてもホテルにしてもその《安さ》が判断の重要な基準でした。しかし、安いと思った飛行機が途中で宿泊しなければならなかったり、乗り継ぎ地でとんでもなく長く待たなければいけなかったりとその《安さのわけ》が当然あるのです。

     ホテルにしても、確かに宿泊代は安いのですがその立地が辺鄙で余分の交通費がかかったり、食事がお粗末だったりこちらもその《安さのわけ》があるのです。ですから、飛行機については出発してから到着するまでの時間を最重要のチェックポイントとしていますし、ホテルに関しては《4つ星》を基準にしています。これは、一人4千円から5千円用意すれば頻繁に【無料の送迎バス】がやってきて24時間対応し、その朝食はビュッフェ形式の安心できるもので宿泊代以外の出費が少なくてすむという理由からです。

     たくさんの方々が条件の許す限り、第三者がお膳立てする《旅行》でなく、ご自分で模索しながら進む《旅》に挑戦され地元の人々と友好を交わされることを希望いたします。


            2012年 11月 9日

            有限会社   らいふのぱん
            代表取締役  山路 裕敏

    コメント
    始めまして。やまさきと申します。

    先日テレビ東京の番組で
    なぜここに?日本人という番組で
    是月次郎さんが出演されていて、
    生き方、考え方に共感を得ました。
    番組終盤是月さんが共に運営してくれる若い人を
    募集しています。
    という情報をキャッチして、連絡先や何か手がかりになるものを探してた所こちらのブログを拝見しました。
    エコファーム キンタ デ サオ マテウスの
    住所や電話番号、メールアドレスなど
    どんな情報でもいいので
    ご存知でしたら、教えていただけないでしょうか?
    初対面なのにすいません。
    • 山瑛諒
    • 2013/09/15 5:51 PM
    前略、日々の仕事に追われてコメントに気づきませんでした。返事が遅くなり申し訳ありません。
     ≪是月さん≫に興味を示される方に巡り会えて大変うれしい想いです。私【62歳】も個性的だとは思っているのですが是月さんには脱帽です、彼の農園に宿泊したのはまだ2回ですが、何か数十年前から友人であったかのような気がして心許せるものを感じています。

     彼がポルトガルの地で共に夢を実現できる方を探しているのは事実です。
     書き始めたらきりがないのでまずは情報をお知らせします。

     メール quintadesaomateus.@gmail.com

    住 所 QUINTA DE SAO
         MATEUS 3130−010
         BRUNHOS SOURE
         PORTUGAL

     TEL 239−675099           

         
    • hirotoshi yamaji
    • 2013/10/11 10:32 AM
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