2015年 クロアチアの旅

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           2015年 クロアチアの旅

     4〜5年前まで宮崎国際大学で教鞭をとり、らいふのぱんのお客さんでもあったフランシス先生のお誘いから今回の旅が始まった。しかし、彼の帰国当時はアクセスの悪さと周辺国もふくめ近年まで戦乱に明け暮れていた暗い歴史が私達の足を重くしていた。近年、衛星放送などで頻繁にこの国が取り上げられるようになり、自然豊かで沢山の文化的な遺産が紹介されると持ち前の【旅ごころ】に火がつき出発は4月の下旬となった。         



    Dobrovnik     ドブロヴニク  フランシス先生と娘のアナさん

     

     さて、旅にハプニングはつきもの。しかし、今回のつきものは実に大きかった、【運転】と言う二文字に様々な困難が付きまとったのだから・・・
     出発の近づいたある日の午後、国際免許証を手に入れるために運転免許センターにいた。今までにも10回以上取得しているので余裕綽々、次々に必要事項を記入の上ふと隣に置いた資料に目をやると、ない・・・・運転が許可されているジュネーブ条約95カ国の中に今回の目的地である【クロアチア】の文字が無い・・・一瞬、頭の中が真っ白になる。まずい、でも時間が無い、下手に係員に尋ねるとやぶへびになる、いろいろな思いが駆け巡ったが、今回オーストリアの空港からレンタカーを借りる予定だったので心の動揺を気づかれないように、目的地【オーストリア】と書いて免許証を手にした。
     
     免許証は手にしたものの不安は消えない、早速ネットでの検索。すると何人かの日本人がクロアチアの写真をアップしている、出発の期日が迫り躊躇している暇は無い、早速東京のクロアチア大使館に電話した。係りの女性はあっさりと“YES”の返事、ひとまずほっとしたがまだ納得がいかない。ネットでの検索を続けると重大な事実が分かった、この世界には《ジュネーブ条約》の他に《ウィーン条約》のグループが存在するのだ、そしてその中にクロアチアはあった。実はこの話の【落ち】は別にある、今まで幾度も旅をしてジュネーブ条約加盟国の確認すらしなかった国【ドイツ】はウィーン条約のほうに加盟していて役所で頂く資料には登場していない・・・知らぬが仏。


     

     
    メルセデス・ベンツ 180 ブルーティック

       価格  37,000ユーロ【504万】
       最高時速 206k
       燃費   23・8k
       エンジン 直列4気筒1598CC
            ターボディーゼル


     アメリカではオートマチックが主流だがどういうわけかヨーロッパではマニュアルがほとんど。もちろん左ハンドルで6段ギヤが多い、レンタル予約をネットでする場合車の形状と排気量などは指定できるが当日にならないと車種は分からない、毎年違った新車に乗るようなもので荷物を積み込み出発するまでにこまごました装置に慣れる必要がある。今回どうしてもサイドブレーキが見当たらず近くの男性に尋ねると、ダッシュボードの手前側に指一本が入るような穴があり新しいタイプの《スイッチタイプ》のブレーキだったが、これにどうしてもうまくなじめず旅の終わりまできちんと駐車する以外は使えなかった。このように車で旅するという華やかな一面、裏方では解決しなければならない沢山の課題がある。

     三年ほど前からオプションで【カーナビ】を借りるようになったが、これが中々聞き分けの悪い代物で正直頭に来ることがたくさんあった。しかし今回《GARMIN》社の製品【23,000円】が使えそうだとネットで調べ、18,000円相当のチップを挿入するとこれが大正解、“日本語で外国の町を案内”をしてくれてドライバーの負担を画期的に減らしてくれた。その上ドライブ中に行き先をめぐって車内が騒然とすることもほとんど無くなり、ドライバーは静かな運転と残りの3名には深い睡眠の時間を提供してくれたのが大きな収穫だった。




    クロアチアの首都【ザグレブ】

     実はウィーンでレンタカーを借りる場面でこの旅一番の難関が待っていた。クロアチアで運転できることは調査済み、しかし陸路この国を目指すとき必ずスロベニアかハンガリーを通過しなければならないので、申込用紙にこれらの国々の名前を書くとスムーズに【OK】、これはいけると思いきや今回の最大の目的地であるドブロヴニクにはいけない、それも絶対にだめと言い張る。わけは良く分からないが、過去の戦乱のせいで目的地の手前12キロあまりがボスニアヘルツェゴビナの領土となっていていわゆる【飛び地】の状態で国土が分断されていたのだ。
     
     ここまで来て旅を中止するわけにもいかず、《目的地》に近づきながら考えようと見切り発車となった。不安を抱えながら一路クロアチアの首都ザグレブへ、持参したカーナビのおかげで路面電車も行きかう大都市のど真ん中のホテルに到着、しかし、余りに繁華街過ぎて駐車場も無くたまたま近くに居たおじさんにむりやり離れた専用駐車場に案内してもらう。部屋に入ると早速情報収集、なれない英語でフランシス先生に尋ねたり、この町に住んでいる大学生の娘のアナ【清武町に10年近くすんでいたので日本語OK】さんにGメールするも答えは同じ《そんな話は聴いたことが無い、実際沢山の観光客がレンタカーでやってきてるよ》、頭の中はまさにシェークスピアの世界だった。





    ザグレブで一番古い4つ星ホテル ヤゲルホルン
    一泊朝食付き 6,000円ちょっと

     グーグルでドブロヴニクの手前の国境付近の町やホテルを検索したり、様々な情報を収集しているうちにあることに気づいた。地元の人たちはぜんぜん不都合を感じていない・・・と言うことはこのことはオフィシャルなルールでなくてレンタカー会社のプライベートな約束事ではないかと・・・
     
     意を決してホテルのカウンター嬢の手助けを受けながらザグレブ空港レンタカー事務所に事情を説明すると《ノープロブレム》、丸一日のあの騒動は何だったのだろう、なにか腑に落ちない面もあったが同じ系列の会社の返事だったので深く追求せず早々におよそ6時間の目的地・ドブロヴニクへ車を走らせることになった。



     西と東の文化が激しく融合しあうこの地域で汎スラブ主義【世界のスラブ民族は一箇所に集まろう】の名のもと数々の戦いが繰り広げられた。残念ながら遠い日本にいてはユーゴスラビアが分裂して7つの国に分かれたと言うくらいの知識しか持ち合わせていないが、民族の違い、宗教の違い、などが複雑に絡み合ってわれわれ日本人には想像もできないほどの歴史の重たさが伝わってくる気がしました。


            ドブロヴニク




    ベネチアと肩を並べる海洋都市だった時代もある
    堅牢な城砦に囲まれ一時間ほどで散策できる




    魚介類をふんだんに使った料理と街中の結婚式

     
     さて、この旅一番の難関が何ともあっけない結末で解決しわれわれの心を表すかのようにそれまでの曇り空から真っ青に変わり、一路ドブロヴニクへ。海岸の一本道に設けられたボスニアヘルツェゴビナの出入国審査もすんなり通過し、左手にそそり立つ岩肌右手に紺碧のアドリア海を目にして車は進む、地元の人々の間ではこんな語り伝えが《神様が世界中の国を作り終えて、余った岩を全部クロアチアに置いていった。》それぐらい国のあちこちにごつごつした岩が散らばった風景、5時間近くのドライブの後夕方早い時間に目的地の宿に着いた。

     ネット【BOOKING COM−日本語で海外の宿泊予約が出来る】で予約したドブロクニクの宿はアパートメント形式、バカンスの時期などに家族単位で宿泊して長期の滞在が可能なように台所や洗濯などの環境が整いコストが抑えられている。旧市街の観光地から歩いて15分弱あるが、歩いて1分のところにスーパーがありレストランもすぐ近く見晴らしも中々のもので一人一泊【食事なし】2500円ほど、オーナー達も受け入れに慣れていて大変フレンドリーだ。スーパーで仕入れた食材と日本から持ち込んだインスタント食材で優雅な朝食、3日間の滞在中手作りのお菓子の差し入れなども届き大変満足だったが、お風呂などの給湯施設の扱い方に苦労した。電気魔法瓶を大きくしたような円筒形のものが洗い場の頭上にセットされていてお湯を沸かすシステムだが、電動だけあってなかなか熱くならないし、4人が続けてシャワーを浴びようものならすぐ冷たくになってしまうのだ。数日後のトロギールでの宿泊でもこの温水器のトラブルに悩まされることとなる。





                      チリピ



     
       日曜日の早いうちに車は南下、ボスニアヘルツェゴビナ、モンテネグロにほど近い小さな村チリピへ。岩肌に沿った一本道を30分ほど行くと人家も余り見当たらない場所に教会らしきものが見える、時間が9時をちょっと過ぎたばかりで人影もまばら、関係者ばかり10名ほどが受付やおみやげ物のテントの準備などに忙しい。屋外にイスなども設置されてはいるがほんとに今日何か催しがあるのか不安になってきた。買い物や写真撮影などで時間をつぶすこと約2時間、入口あたりに設けられた受付の方角からぞろぞろと観光客のグループが、さすがにここまで来ると東洋人の姿はわれわれ4名だけとなり《優越感と劣等感》を足して2で割ったような不思議な感覚だった。
     観客にまぎれて民俗舞踊のショーを観ながらふと【入場料が要ったかも?】とも考えたが、別に請求もされなかったのでここは【神様のお恵み】とばかりダンマリを決め込んだ。 



            ロボルノ

     民族舞踊のショーを十分楽しんだらさらに南下、人気の少ない農村地帯を行くこと30分。左手の岩山の小さな集落に有機農法の農家民宿《Agriturizam Kameri Dvori》が次の目的地、アグリツーリズムはイタリアなどで盛んな宿泊形態だが民宿と言う言葉から想像ができないほど規模が大きく、レストランやプールを備えているものが結構ある。しかしここはクロアチア、それも国境近くとあってプールはあるもののヨーロッパ諸国のそれと比べて比較的小規模の家族的な農家民宿だった。

     午後の1時を過ぎていただろう予約なしのランチをお願いするとOKの返事、料金は一人2000円の後半と安くは無かったがこれも勉強と挑戦することとなった。 しかし、さすが農家レストラン、【これから準備するから20分ぐらい散歩してきてください】と言い残し材料を調達に姿を消した。仕方が無いので4人で民宿の設備を見学したり、裏の岩山に登り隣の国の境になる山々を眺めたり春の草花を楽しんでおなかをすかせる努力をすることに。






      食卓に案内されるとまず家の周りの畑で収穫した有機栽培の野菜がずらりと、採れたての卵、自家製のワイン、包丁で削ぎ切ったハム、と出されたがなかでもローレエ【月桂樹】の枝に刺し塩で味付けの後直火で焼いた豚の首肉がシンプルながら大変好評だった。9人の家族で切り盛りする民宿の主人【40代後半の男性】にここの暮らしなどを訊ねると待ってましたとばかり、民族同士の争いや宗教上の対立がからんだ近年の歴史をとうとうとしゃべり始めることに。 しばらくの独り舞台の後に、最近この民宿を訪ねた日本の皇族が居たと聴いてびっくり、正確な名前は分からないがよくぞこの偏狭の地にと感動する。一日の予定を終えて宿に戻る道すがらワインに酔いしれて眠る3人をバックミラーで見ながら運転する悔しさはたとえようも無いものだった。ちなみに、ここの地名《ロボルノ》はクロアチア語でローリエ【月桂樹】の意味。

            

               スプリット【Split】   

     最近【2017年10月】BS放送などで盛んにクロアチアの映像が流れる、この街スプリットもつい先日放映されていた。目的地付近に駐車場が見つからずソフトクリーム屋さんの店頭に駐車,もちろん駐車券を買い求めてダッシュボードの上に提示しての【合法的】な止め方。ちなみに、外国では日本式の純然たる駐車場は少なく,特に街中では路上駐車があたりまえ。ウィーンの友人に尋ねるとちょっとした訳が、何せ石造りの建造物が主流のため車の駐車スペースを新しく設けることが難しく、居住区ごとにその地区の住人は自由に駐車することが出来る。外来の者も時間制の駐車チケットを買えばOKとのこと。


     


     クロアチアのほぼ中央に位置し沿岸地区最大の港町で、旧市街にはローマ皇帝ディオクリティアヌス帝が住んだ世界最大の神殿がある。アドリア海を越えてイタリア方面からクルーズ船が多数寄港し、沢山のツアー客でにぎわう。今回特長的だったのは韓国からのお客さん【コリアンオバタリアン】のエネルギー、お国の経済状況はあまり芳しくないと聴いていたのできっと【コリアンオジサン】たちは汗水流して働いているのにとちょっとかわいそうになった。遺跡を散策していると


     


          



     


        


      

















     

      
                

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